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2008年7月18日 (金)

メジャーリーグ

「トルネード投法」で一世を風靡し、アメリカ大リーグで活躍した野茂英雄投手が現役引退を発表しました。

「悔いは残る」という正直さがいいですね。

野茂がアメリカへ行かなければゴジラ松井も松坂もアメリカに行く事はなかったかもしれません。そういう意味でもすごい人だと思います。

松坂大輔と言えば

彼が高額契約でレッドソックスに行く事になるちょっと前、ヤンキースの投手が飛行機事故で亡くなったんですよね。

小型の飛行機を自分で操縦していて、ビルに衝突したようです。

そのビルに住んでいてワイドショーでインタビューを受けた日本人が、私の知人とよく似た珍しい名前だったので、よく覚えています。

そこで投手が一人亡くなったこともあって、アメリカの球団は松坂獲得に熱が入ったようです。

「松坂って運がいい」、というべきか、「すごい偶然」、というべきか…。

http://sports.nifty.com/cs/headline/details/bb-mn-mainichi-2008071800m121/1.htm

<野茂引退>球場外でも野球人貫き 企業廃部に受け皿作る(毎日新聞)

 17日に現役引退を表明した元大リーガー、野茂英雄投手(39)の功績は、日米通算201勝の数字だけでは計れない。選手の受け皿拡大のため、地域密着の「NOMOベースボールクラブ」を設立するなど、プレー以外の活動にこそ、野球人としての志がうかがえる。

 02年に米独立リーグ球団の共同オーナーとなった野茂は、その年のオフ、国内選手向けに入団テストを行った。不況によるリストラなどで社会人野球の企業チームの休廃部が相次いだ時代。野茂が所属していた新日鉄堺(大阪)も94年に休部した。テストに集まった選手のレベルは想像以上に高く、野茂は「野球を続けたくても続けられない選手にチャンスを与えたい」との思いを強くした。

 03年春、堺市を拠点にするNPO(非営利組織)法人のクラブチーム「NOMOベースボールクラブ」を設立。監督に就任した社会人時代の先輩、清水信英さん(50)は当時を振り返り、「(02年冬)帰国した野茂と話した時、『クラブチームを作ったら監督をしてくれますか』と言う。翌朝、彼は新幹線で東京に向かう車内から電話で『お願いします』と言ってきた。二つ返事でOKしました」。

 NOMOクラブから、プロ入りの夢をつかんだのが、05年秋の大学・社会人ドラフト5巡目で中日に指名された柳田殖生(しげお)内野手(26)。柳田は「自分を拾ってくださった野茂さんに感謝しています。以前、会った時は、『夢をあきらめないで』と言われました」と話す。柳田選手は07年6月に1軍デビューし、プロ初本塁打も放った。

 野球を続けたくても、続ける環境に恵まれない選手はたくさんいる。清水さんは「受け皿のない地域に第二、第三のNOMOクラブを作りたいと、あいつは思っています」と、野茂の第二の人生の夢を、野茂に代わって誇らしげに語った。【井沢真】

[毎日新聞:2008/07/18 02:33]

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